「戦後思想」チャット報告2(yomori55)

こんにちは。よもりです。
8月20日(金)開催のチャット討論についてご報告いたします。

参加者はじゅんさん、そにあさん、りょうさん、せいぼさん、もりもりさん(お久し振り!)いんくさん、きかさん、ダンサーさん、ふとだまさん、よもりでした。

今回のテーマは「公共性について」でしたが、冒頭りょうさんより、加藤典洋の「私利私欲の上に公共性を築く」という論旨に対するコメントがありました。
りょうさんによれば、私利私欲の上に公共性を築くというのは、フランス革命のテーマであって、加藤は当たり前のことを言っているに過ぎない。公共性というのは、私利私欲を
達成するために求められるのである、ということでした。そして、そのためにも私利私欲を主張する各個人には「自己責任」が求められる、という考えです。
これに対し、そにあさんから「リバータリア(libertarian)の真骨頂ですね」と半畳(?)が入り、このやりとりが通奏低音となる形で議論が進みました。

りょうさんからは引き続き、神戸震災ボランティアに対する加藤典洋の一種冷ややかな視点(文章はブリーフケースにUPしています)について、「理解できない」との意見が提示されました。
これに対し、じゅんさん、よもりは、ボランティアの善意が国家意思に回収されることへの危惧という観点で加藤の文意を読み取るべき、と述べ、そにあさんからは「組織化されないボランティア」を否定する考えが示されました。
このあたりから、議論はりょうVSそにあのバトルの様相を呈し、書き込みをも巻き込んで、深い深い混迷へと沈んでいったのでした。

このバトルを再現することは、私の能力をはるかに超えていますが、面白いなあと感じたことがありますので、それを報告してみます。
議論の中で、そにあさんはりょうさんの論理の「形式」を衝いたように思えました。つまり「なにを語っているか」ではなく「どのように語っているか」、「論理がどのような構成をとっているのか」、を問題にしていたように思います。
対してりょうさんは、あくまで「語られたことの実質」が大事であるという姿勢を崩しません。
最後には業を煮やした(?)そにあさんから、「自衛隊のイラク派兵だってボランティアです」という発言が飛び出しました。これは、りょうさんの論理に傷口を開けようとした、そにあさんの「自爆テロ」とも見なされましたが、結果としては、残念ながら単なる自爆に終わり、夏の夜の底へと沈没していった感がありました(そにあさん、ごめん。反論してね)。

参加者のみなさんはどんな感想をお持ちでしょうか。
ぜひぜひ、投稿ください。
2004年8月23日yomori55氏の投稿より
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  by ponkenblog | 2004-09-04 21:24 | society & culture

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