第1回コラボレーション ご報告 (sonia氏文責)

第1回ぽんけん&戦後思想の部屋(コラボレーション)のご報告を、ジュンさんの依頼を受けソニアがいたします。

11月1日(土)、午後10時~午前1時まで、活発な討論がなされました。皆様、お疲れ様でした。

およそ、三部構成でお話が展開したと思います。①提出された資料批判 ②公共性と共同性論 ③総選挙と小泉政権 の順です。

まず、ソニアの提出した、たたき台としての資料(朝日新聞の記事)について、暴発さん、そんふしさんからご批判をいただきました。

 ○論旨が明確でなく難解である(暴発)

 ○戦前の価値を全否定するような戦後民主派知識人の衒学的態度には到底承服しかねる(そんふし)

そうしたご批判を受けて、各パラグラフごとの資料読解へと進みました。

 ○「疑いの精神を疑う」状況が、現代版「近代の超克」論とも言うべきポストモダン思想にも見て取れるのではないか(よもり)

 ○政治的「原理主義」とでも言うべきもの(自由主義やカント思想への回帰)が台頭しているのではないか(ソニア)

 ○ルペン派ナンバー2の詳細なご説明と、「いま押し出してくる気配のある」政治状況(右転回)への懸念の表明(ジュン)

 ○先進国での近代の抑圧/近代の超克と、途上国での伝統の抑圧/近代の完遂という、グローバルな温度差の存在の指摘(ジュン)

次に、資料の言及している、近代国民国家により担保された「主権」と「人権」のお話から、共同性と公共性へと論が進みました。

 ○古い公共性の回復を主張する小林・西尾・佐伯のグループは、「祖国のために死ぬ覚悟」を強調する(ソニア)

 ○いや「祖国のために殺す覚悟」とした方が、ごく僅かな可能性として、公共性のナローパスへの展望が開けるのではないか(よもり)

 ○丸山真男の言う市民社会という公共性構築を忘却し、一挙に国益へ飛びつく小林・西尾のグループのあり方への懸念(ジュン)

このジュンさんのご指摘から、日本の中間的共同体(部分社会)の問題へ話が及びました。

 ○丸山の活躍した時代から共同体の崩壊という現実が始まり、市民による公共性の構築が危急の課題となった(ジュン)

 ○日本の中間的共同体は、共同体の繁栄=個人の自己実現という幻想が機能しているうちは有効であった(ソニア)

 ○いや、共同性と公共性は不可分であり、共同性を基盤にして公共性が構築されるのではないか(よもり)

最後に、総選挙も近いこともあり、日本の政治状況に関するお話(苦言)で締めくくられました。

 ○政権交代の一点突破に絞り、政治哲学の論議を置き去りにした新民主党のあり方は「野合」そのものではないか(ソニア)

 ○本来は、社会民主的な勢力が丸山の理想とした哲学を担うべきだが、政治的「逆風」の中で思うにまかせない状況(ジュン)

えーと、またまた、いつもの三人のお話だけに「閉塞」してしまいました(笑)。この状況をよもりさんは、次のように表現されました。

 ○公共性と共同性の議論、つまり社会をいかに解釈しそれと関わるべきかという問題は、貧困というリアリティーの喪失によって、

  社会をどう味わい、どう楽しむかというミーイズム(市場原理)に席を譲り、1979年を境に転回したのではないか。

確かに、コアなお話で他の方々がなかなか参加しづらい面もあったかなと思います。次回は、もう少し議論の輪を広げたいと思います。

また、ジュンさん、よもりさんが、オープン部屋で緊張したというご感想にびっくりするとともに、温泉気分という表現に苦笑しました。

以上、ご報告でした。
2003年11月5日(水) 午後2時38分投稿 sonia rykeil_2001投稿より
[PR]

  by ponkenblog | 2004-08-21 22:36 | society & culture

<< 「戦後思想を考える部屋」とのコ... 「なぜ今、子どもたちが見えにく... >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE