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「なぜ今、子どもたちが見えにくくなっているのか」 ポン研ワークショップ (sonia_rykiel_2001)

○子どもは変わったのか? 
キレる子どもの問題は、必須ミネラルである、カルシウム不足など、食生活の変化に遠因があるのではないか?障害を抱えている子どもによる、不幸で痛ましい事件を、マスコミがセンセーショナルに取り上げすぎてはいないか?(かいたさん)

昔も今も、基本的に子どもは変わっておらず、ただ、我慢する力、耐性が少し弱くなったように感じる。(フラフープさん)
  
いや、受験競争の低年齢化こそが、子どもを根本的に変えてしまった元凶なのである。90年代の早期教育(幼児教育)の流行は、子どもから、素直な感情の発露を奪い取ってしまった。大人になってから子ども時代をやり直し、追体験する人が増えている。体感を伴わない知識のみをつめこむ早期教育は、将来破局的な結果を日本にもたらす。ある
い は もうすでにその兆候が社会にあらわれているのかもしれない。(フォーサイトさん)

 ○子どもとは何か?
子どもの線引きはむつかしい。子どもを「理解」することは、いつの時代も不可能である。そうであるならば、まず少なくとも子どもを「了解」することから始めたらどうか。子どもの不可解さをまるごと認め、同意することはできるはずだ。大人と同じような認識の枠組みで「理解」しようとするところに問題があるのではないか? (かいたさん)

 ○教育を広げるということ
教育機能が学校のみに占有されている。しかも失敗すれば再起がむつかしい社会でもある。この硬直化した日本の学歴社会は「ところてん」方式とでも呼ぶべきものであり、そうではない、もっと柔軟な教育システムへ転換すべきである。例えば、生涯教育やリカレント教育の実践は、社会を良い方向へ変えていくのではないか? (かいたさん・らくださん)

 ○社会変動と子どもの変化は関連があるのか?
今の子どもたちは、異なる年齢層と遊ばなくなった。たとえ友達と「遊ぶ」にしても、黙々とゲームをする、マンガを読むなど、ばらばらである。ただ一緒にいるだけの子を「友人」と言えるのか。携帯電話やビデオゲームなど、社会環境の変化が子どもたちも変化させているのは明らかである。(暴発さん)

いや、そうではない。現代の子どもたちは、濃密なコミュニケーションというものを避ける傾向がある。また、TPOに応じてコミュニケーションの形態を変えている。大人が心配する必要はない。意外とたくましく、そしてしたたかに生きている。(かいたさん)

個別の社会変動に注目するのではなく、現代社会の一つの大きな傾向として、「連帯感の喪失」があるのではないか? 日本の戦後社会のあり方がまず、問題であり、子どもたちだけでなく、我々大人たちも、ある種の大きな喪失感の中に置かれている。(りょうさん)

 ○子どもたちとどうつきあっているか(私の教育論)
子どもたちを指導したり、教育するのは、とても大きなパワーを必要とする。ほめる、けなす、はげます、時にはどやしつける。全身全霊をかけた、人格と人格、魂と魂のぶつかり合いなのである。時には、懲らす教育、儀礼やマナー、社会常識を力ずくで教え込むことも必要だ。(にんじんさん)

これまでの教育には、自己表現すること、自己表出するという面が欠けていた。ダンスは、肉体と精神を表現する総合芸術である。現代の子どもたちは、自己表現する方法を、例えばダンスを通じて教えてあげれば、こちらが驚くほど活き活きとこなす能力を秘めている。厳しいレッスンを通して、協同作業の大切さを身につけることもできる。(ダンサーさん)

 ○そにあくんの感想
  たくさんの方からご意見をいただきました。ありがとうございます。教育は実践するもので、討論の俎上にのせること自体に無理があると感じていましたが、さまざまな角度から議論が出てきて、正直驚いています。教育は、非常に大きなテーマなので、これからも引き続き議論していきたいと思っています。
2003年4月21日(月) 午後10時47分sonia氏投稿より

  by ponkenblog | 2004-07-29 01:35 | education

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